2016年3月25日金曜日

故・川島なお美さんが夫のパティシエ鎧塚 俊彦氏にたくしたしたお墓と現在と

川島なお美が夫、鎧塚 俊彦氏にたくしたこと

2015年9月に女優の川島なお美さんが亡くなってから、著作の発表や、遺品整理に忙しい 夫の鎧塚 俊彦氏。
川島なお美さんとの出会いから、現在の住居や最新スィーツの情報のまとめ。
また、川島なお美さんが夫に託した、彼女のお墓について、現在と納骨はいつになるのか?

川島なお美の夫、鎧塚 俊彦氏

故、川島なお美さんの夫でパティシエ鎧塚 俊彦氏は、1965年、 京都府宇治市に生まれ。
京都府立城南高等学校卒業しています。
1989年(平成元年)に 辻製菓専門学校を卒業しました。
23歳で守口プリンスホテル(現:ホテル・アゴーラ大阪守口)にパティシエとして3年間勤務。

1992年(平成4年)に- 神戸ベイシェラトンホテル&タワーズのセクションシェフから、副製菓長として3年間勤務をした後、1995年(平成7年)に 30歳で渡欧します。

鎧塚 俊彦氏スイス時代、研修先の店にて

川島なお美の夫のパティシエ修行は1995年(平成7年) に 30歳の時に渡欧から、始まります。
スイス・シャフハウゼン「ツッカーベッカライ エルマティンガー」に1年半勤務。
1996年(平成8年) - オーストリアウィーン郊外、「バックハウスアンナミューレ」で、1年半勤務。

1998年(平成10年) - パリ「ストレー」入、2年間勤務。
2000年(平成12年) - ベルギーの3つ星レストラン「Bruneau(ブリュノウ)」2年間勤務しました。

川島なお美さんが、失楽園(TVドラマ)に出演したり、へのヘアヌード写真集を出版していた頃に、夫の鎧塚 俊彦氏はヨーロッパで修行中していました。

2004年(平成16年)、川島なお美が騎士号を叙任した頃には、夫の鎧塚 俊彦氏は、「Toshi Yoroizuka」を恵比寿に開店しました。



「やよいひめ」といういちごを使った「いちごの森」という意味のスィーツ、はパティシエ・トシヨロイズカ作の、レ・ボワ・ド・フレーズです。

Grand Patissier / Toshi Yoroizuka/ 川島なお美の夫の2016年03月14日に公開された、最新ショコラの紹介動画です。

川島なお美と、夫鎧塚 俊彦氏の出会い

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2006年に川島なお美がトリノオリンピックスケート女子シングルで、金メダルを受賞した荒川静香さんの誕生日とトリノのお祝いを催しました。その時に、ケーキを作って持ってきたのが夫の鎧塚氏でした。その後交際に発展し、パリ旅行中にプロポーズされ、婚約期間を経て、ふたりは結婚します。

川島なお美と結婚した、夫の鎧塚 俊彦氏

川島なお美との結婚と、 夫 鎧塚 俊彦氏の事業拡大。

2007年(平成19年)11月23日 に婚約を発表。
2008年(平成20年) - 鎧塚 俊彦氏の恵比寿本店リニューアルOPEN。

2009年(平成21年)2月1日に 川島なお美と入籍。
2011年(平成23年)11月 - 神奈川県小田原市に「一夜城ヨロイヅカファー​ム」開業。

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川島なお美と結婚後、 夫の鎧塚 俊彦氏はエクアドルでカカオ農園オープン。
小田原には農園&レストラン「一夜城ヨロイヅカファー​ム」をオープンしました。

2014年10月に嬉野市の旅館大村屋で行われた、
「エンジン02さが」のオープニングイベントに参加した川島なお美夫妻。

鎧塚 俊彦氏は結婚前になお美が溺愛する愛犬のシナモンとココナツ君に、
手作りのおやつを作りプレゼントしたそうです。

川島なお美と結婚した2009年頃から夫の鎧塚 俊彦氏の左目が悪くなり、
 2011年に手術をしたが「左目は光を失った」状態になりました。

川島なお美と夫の噂される夫婦仲

夫である以前に菓子職人として、マスコミからスタッフを守る。

川島なお美と婚約して、名前が知られるようになりました。
鎧塚 俊彦氏は、スタッフに対し「結婚しても、私の菓子に対するポリシーやスタンスは一切変わらない。何の心配もない」と断言したという。

夫婦けんかを家庭内で収めようとする私に対し、家内は奥の手を使ってくる。けんかの膠着状態中に、芸能界の大御所から私あてに仲裁の電話がかかってきたりする。


もともと私は、毎日家に帰れば妻が食事を用意し、風呂を沸かし、ずうっと待っているなどと考えただけで、憂鬱になるタイプである。
(2012年8月川島なお美の夫、鎧塚 俊彦氏)

2012年11月には、川島なお美の的束縛に夫の鎧塚俊彦がううんざりし、ついに逃げ出した!と報じられました。

2015年(平成27年)9月24日 川島なお美、胆管癌により死去。

2015年9月25日未明に病院から東京・渋谷区の二人で暮らした、自宅マンションに川島なお美さんの遺体と帰宅した、夫の鎧塚俊彦氏。

2015年10月1日、前月24日に亡くなった女優・川島なお美さん(享年54)の通夜が1日営まれました。
喪主を務めた夫の鎧塚俊彦氏(49)が、亡くなった川島なお美さんとの思い出を語りました。

青山葬儀所でおこなわれた川島なお美の葬儀で、 夫の鎧塚氏は、なお美さん出棺で号泣し、最期は拍手で見送りました。

川島なお美亡き後の夫、鎧塚 俊彦氏


川島 なお美が亡くなってから約2ヵ月後に夫の鎧塚 俊彦氏が、本を出版しました。
川島さんにガンが発見されてから最期までが書かれています。

カーテンコール 単行本 – 2015/12/8
川島 なお美 (著), 鎧塚 俊彦 (著)

川島なお美の死後3ヶ月、ドキュメンタリー公開、夫が赤裸々に語る。

川島なお美が亡くなってから3ヶ月後の2015年12月24日にフジテレビジョンで「独占秘話!女優・川島なお美物語〜余命1年 Xmasイブの誓い!死ぬまで舞台に立ちたい!〜死の直前秘蔵映像と愛の直筆日記を初公開!」が放送されました。

夫である鎧塚が、なお美の闘病生活や、最期の舞台出演について赤裸々にインタビューで綴っています。

2015年11月夫・鎧塚氏はここ数か月は遺品整理に追われていた。川島なお美の「遺品」である大量の本を業者に依頼して、売却しています。

2007年に刊行された小説「あじさい日記」の著者である故・渡辺淳一氏(享年80)が表紙裏サインし川島なお美の送った本も古物商や複数の業者を介して、ある熱心なファンの手に渡りました。

川島なお美さんが最期に夫の鎧塚氏の手を握りしめ「ハッ、ハッ」と何か言おうとした。
「病床の奇跡」について、死から2日、鎧塚氏が妻の最期について語りました。

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出典:http://tw.on.cc

渋谷区のマンション前で、最期に吐血した川島なお美の様子を語る夫の鎧塚氏。

鎧塚氏は2015年末12月には生前川島と暮らした渋谷区のマンションから、ひとりで六本木の高級タワーマンションに引っ越しました。このマンションから、職場へ通っていると報道されました。

川島なお美の夫への願い、お墓のこと

川島なお美が生前、自身の墓について夫の鎧塚氏に言い伝えていること。
麻布十番のある古刹の墓地に夫婦一緒に入ること。

川島なお美と親交のあった“墓友”の俳優仲間の奥田瑛二(65才)夫妻や作曲家の三枝成彰(73才)らは生前墓を購入しており、川島も隣に入ることを希望していました。

なお美は夫に、「墓石にワインをかけてね。」

そして、「できれば再婚しないでね」と遺書に綴っていました。

2016年3月、お寺の関係者が語る。

「いえ、鎧塚さんはまだお墓の購入もされていません。年明けには墓地を見に来られていますし、購入の意思はあるようですが、決めかねている様子でした。当然、納骨もされておりません」

 一般的に納骨は四十九日の法要の後に行われるが、鎧塚氏は死後5か月たった今も遺骨を自分の手元に置いていることになる。
川島なお美が夫の鎧塚俊彦氏に託した、死後のお寺のこと。
東京都港区麻布十番にある、古刹のといわれる、寺に入りたい。
2016年3月現在、ネットに掲載された情報によると、夫の鎧塚俊彦氏はお墓の購入はしていません。川島なお美さんの納骨はまだしていないようです。